物理を勉強するということ

ある時、どこかの大学の物理の先生が言っていたものをインターネット上で見る機会があった。
物理を学ぶというのは世の中全てを理解するということで、それを学んでいる学生は全てを知った気になってしまい、家の中でも生意気なことを言うかもしないが、そういうものだと理解してほしいといった内容だった。

自分のことを言われているようで少し恥ずかしかったが、自分達の考え方や行動の理由がわかった気がした。
もう大学も卒業しているが、未だに生意気を言うことを許してもらえば、物理を学ぶ人達は本質を語るということについて長けていて、自分達で考える際、議論をする際に余計な考えを排除することができるのだ。
もし本線からズレていれば誰かが指摘するし、話し方や相手が好きかどうかとかそういうことは関係なく問題を探ることができる。
そういった世界に慣れすぎてしまっていて、いざ社会に出た時に少し戸惑ってしまうということがある。
本質を捉えるという大前提があるけれども、それを話に持って行くためには、特にグループで話し合いを行うならそれこそ自分の見た目から入り、気持ちよく聞いてもらうための口調や内容のわかりやすさなどが必要なのだということを知る。
むしろそれらができていなければ、本質がどうとかいうものは役に立たないというのが社会の現実のような気がする。
ここに、大学院博士課程まで行った学生を企業が採用したくないという理由が1つ現れているように思う。
頭はいいかもしれないが、自分達の世界で通じていたことばややり方をなかなか変えることができないほど、長い期間1つの世界に馴染んでしまったという理解なのだろう。
それも理解できる一方で、最近は多くの会社で大事とされている「コミュニケーション能力」を必要としていなくて、むしろオタク気質、1つのことが得意という人を採用したいという会社も増えてきたことは嬉しい。
せっかく突き詰めた世界、鍛えられた考え方を一般社会にならしていくのではなく、彼らの強みを会社側で受け止めてそれを社会に還元でできるということができれば、また日本が世界に誇れる力を持つようになるのではないか。

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